──日本の人妻が“エマニエル”を名乗ったとき、
ロマンポルノは国際的エロスと真正面から向き合った。
フランス帰りの女が見たのは、文明の果てにある“日本の情欲”だった。
🎞 映画DATA
- 公開年:1975年7月1日
- 監督:加藤彰
- 主演:田口久美/葵三津子/冬木なか/南ゆき/言問季里子/神章子
- 上映時間:70分
- シリーズ:東京夫人
- メーカー:にっかつロマンポルノ
- ジャンル:成人映画/3P・4P/レズビアン
- 配信品番:141nkt198
- 黒猫品番:205
- 平均評価:★★★★☆(4.0)
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※本レビューは成人向けフィクションを文化的・文学的視点から解説しています。
🐾 黒猫レビュー
【1】“エマニエル”という幻想を、日本の団地に落とした映画。
1975年──ヨーロッパを席巻した『エマニエル夫人』の官能が、ついに日活の手で日本へと“翻訳”された。その名も『東京エマニエル夫人』。だがここにあるのは、フランス映画の陶酔ではなく、日本人女性の孤独と欲望の再構築だった。田口久美が演じるのは、フランス帰りの人妻・今日子。異国の自由を知りながらも、帰国後は抑圧された社会の中で再び“女の身体”を見つめ直す。
【2】ケーブルカーの中の“堕落”。
最も印象的なのは、ケーブルカーのシーンだ。揺れるゴンドラの中で、男たちの視線と手が彼女を舐める。この“空中での陵辱”は、重力を失ったまま堕ちていくような映像体験であり、加藤彰監督の官能構成力が頂点に達した瞬間だ。それでも今日子は何事もなかったように振る舞う──この静けさこそ、ロマンポルノの美学である。
【3】「止めてはいけません」──快楽と哲学の狭間で。
今日子の快楽は、決して淫らなだけではない。「止めてはいけません。続けるのです。」と告げる教授・牧の台詞には、まるで宗教的陶酔が宿る。性愛を学問化しようとする“新しいSEXの法則”という狂気の講義が、作品を一気に神秘の領域へ押し上げる。インド哲学・心理実験・官能の融合──それは“エロスの知性化”を試みた日本映画の稀有な瞬間である。
【4】反自然的行為の中に“自然”を見た女。
3P、レズ、馬上でのトリプルSEX──そのどれもが露骨でありながら、どこか品格がある。田口久美の表情は、欲望のなかに悟りのような静けさを湛える。それは“堕ちる”のではなく、“還る”エロス。 この映画が描いたのは、肉体の冒険ではなく、魂の巡礼だったのかもしれない。
黒猫のまねき「女が堕ちるとき、そこに哲学が生まれる。」
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女が求めたのは、男ではなく“悟り”だった。
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「また夜が来たら、ここで逢いましょう。」









